井上雄介のたいわんブログ

ほぼ台湾の話題、時々中国…。

2012年03月

太平洋側北部の宜蘭県太平山にあった森林鉄道が、30年ぶりに復活することが決まった。同山は日本統治時代に台湾3大林場の1つとなり、木材搬出のため1913年に鉄道が開通した。小ぶりの蒸気機関車が客車もけん引して36キロを走り、通勤通学の足としても長く愛された。 車窓の景色は水田、渓谷、森林と次々と移ろい、うっとりするような眺め。地元民は「仙境にいるような気分だった」と語る。一時は特急列車も運転されたこともある。 しかし、78年の台風で被害を受け翌年廃止が決まった。地元民は「親を亡くしたように涙を流した」という。 地元高校の元教師黄瑞疆さん(58歳)は、子どものことから同鉄道のファン。小学生時代、いたずら線路の「ポイント」を触ったところ駅長に耳をつかまれて連行され、2,3時間説教を受けた記憶もある。 鉄道の復活を夢見て、数年前から署名活動や陳情を熱心に続けた。廃止の際、兵役で地元にいなかったため鉄道の最期を見とれなかったことが長く心残りだった。ある企業の協賛を得て3.5キロだけ復活が決まった。 黄さんは、太平山森林鉄道ゆかりの品々を収集し自宅に保管してある。硬い紙製の乗車券、昔の駅長の制服制帽など貴重なものばかり。しかし、鉄道が復活した後は、全部寄贈するつもりだ。 地元民は「もう1度乗ってみたい」と大喜びだ。また、風光明媚な土地だけに、嘉義県の阿里山森林鉄道並みの観光の目玉になる可能性が高いとして地元の期待も高まっている。

台北の有名書店で。国民党政権と台湾人が争った二・二八事件の顛末を詳しく書いている。台湾人側がみな美男美女、国民党側は全員が悪党づらなのは笑ってしまう。 漫画の内容が事実なら、二二八事件は治安事件の域をはるかに超え、旧宗主国と武装した旧植民地人との内戦だったこと分かる。本書では、日本の終戦直後の武装解除前、台湾にいた日本の一部軍人が、台湾人の代表に独立を勧める場面が出てくる。武器も台湾人に引き渡すと申し向けるのだが、最後の台湾総督が「軽挙妄動は慎め」と叱り、実現しなかったようだ。 戦後のインドネシアなどで起きたことと似ているが、台湾では旧宗主国側が圧勝して独立戦争は失敗し、旧植民地人を徹底弾圧したことは大分異なる。 中華民国の統治に反発する台湾側の一部が当時の米国領事に送った嘆願書は、「台湾人は確かに中国人と血縁にある。しかし、日本文化と学術により50年の薫陶を受けた」ので能力があり、自治を認めるよう切々と訴えている。 本書を読むと、二二八事件の背後には「台湾人とはなにか」という自己認識の問題が横たわっていることに気付く。祖国と思っていた中華民国の統治を受けてみたら、何かが違う。もちろん日本人でもない。自分たちは台湾人なのだという意識の高まりが、激しい抵抗の下地として潜んでいるようなのだ。 先の台湾総統選でも、台湾の自治への願望はなお根強いことが分かる。本書が出版されて書店に平積みになることも、それを裏付ける。台湾人は一度も本当の自治を体験しないまま、中国に取り込まれて行ってしまうのか。それとも台湾人た台湾を統治するという、当然といえば当然の時代がいつかは訪れるのか。正義は実現するものと信じたい。

日本企業がマルチ商法で、市民1000人から、28億円も吸い上げる事件が起きた。台湾では日本人に対する信頼が厚いが、これを利用した恥ずべき犯罪だ。 その絡みで、初めて台湾の検察に行ってみた。広報担当の検事がいて、その個室は出入り自由。日本よりオープンだ。被疑者の住所、生年月日を教えろといったら、「そんなもの教えられる訳ないだろ」と怒られちゃいました。日本よりも人権感覚が上かもしれない。 私のような弱小メディアの記者にとって、記者クラブ制度がないことは本当にありがたい。日本だったらクラブに加盟していないことを理由に、広報担当の次席検事らが会ってくれることはまずない。 なお、検事の個室には、中国時報とか台湾の他社の記者も個室のソファにだらだら座っている。座卓の上にせんべいのよう菓子類が乗っていて、それを食べながら雑談しているさまは、日本の記者室そっくり。そして、記者が、偉くもないのに偉そうにしてるのは、日本と同じでした。

自宅の4階建てアパートの1階は店舗で、オートバイの修理屋がある。油で黒ずんだコンクリートの床と壁。片隅に250CCの年代物がでんと置かれ、赤い字で「売り物」の札。台北でバイクは庶民の足だから、ぽつぽつ客が寄る。灰色の作業服の老店主がいつも店先に腰掛けている。岸信介元首相に似て、立派な風貌だ。 「この上にお住まいですか」。それまで、ちらちらと視線を送ってきていた老店主が、意を決したように話しかけてきた。小学校6年まで日本語教育を受けていたという。「おいくつですか」「昭和6年です」「日本語がお上手ですね」「いや、あれ以来話しませんので、言葉がうまくつながりません」。祖父母を思い出させる丁寧な楷書の日本語だ。 あたりは日本時代「大龍ドウ町」(ドウは山へんに同)と呼ばれた古い町。いつか昔話を聞こうと思っている。

日本人によるタクシー運転手暴行事件の取材、初めて台湾の刑事裁判を傍聴した。日本の刑事裁判は口頭主義なので、検事や弁護士がひたすら書面を読み上げていく。 台湾も建前は口頭主義らしいのだが、実際は3者で判決文の字句を詰める作業を法廷で延々と続ける。「検察官は犯行が極めて残酷で、社会に与える影響を大きいと述べた…マル(。)…と。弁護人、よろしいか」という感じ。ビジネスマンが契約書の内容をめぐり交渉しているかのようだ。 被害者の弁護人も検事と同席し、賠償関連の民事的な話し合いも同時に進む。法廷が、被告人をめぐる検察+被害者側と弁護側の駆け引きの場となっている。日本の刑事裁判は多くは弁護人がかなり控え目で、丁々発止にはなかなかならない。台湾のように、被告人の利益を守る争いがもっとあってもいいのかも知れない。

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