住まいのある台北市大同区の民権西路北側の一帯は以前、大龍峒と呼ばれ、清朝の時代には文教地区で「十歩けば秀才、百歩歩けば挙人に当たる」と言われ、科挙の合格者を沢山輩出したそうだ。その名残りと思うが、今でも学習塾がやたらと多い。西隣の大稲テイ(テイ=土へんに呈)は同じ時代に商業地区で、現在も海産物や漢方薬材の問屋が軒を並べる。 1924年に孔子廟が再建された際は、真っ先に大龍峒が選ばれ、北の外れに今もある。市の施設としてきれいに管理されているが、いつも人影はまばら。外国人の観光客を見かけるぐらいだ。大成殿の正面には孔子の尊称が書いた大きな位牌が置かれるのみ。年に1回、孔子の聖誕祭が厳粛に行われるそうだ。 孔子廟に向かい合うのが保安宮。医学の神様、保生大帝を祀るお宮で1805年の創建で、こちらはいつもにぎやかだ。線香の煙が濛々と立ち込め、参拝者が引きもきらない。大帝のほか、別の神様のお堂も別々にあり、参拝者は自身がお願いする内容に従って神様を選ぶ。老若男女がそれぞれに一心不乱に祈りを捧げていた。孔子廟の安閑さとは対象的にみんな真剣そのものだ。 それぞれのお堂には、円筒形の灯明台があり、小さな灯明が無数に光っている。願いごとがかなうと、お礼として灯明を寄付するそうだ。日本の神社でもある習慣で、東京の下町生まれの我が祖母も、私が大学に合格したとき、お礼参りで小さな鳥居を浅草の神社に奉納していたのを思い出した。 孔子の教えは、学問により自己研鑽して君子になろうというもの。廟を拝んでもご利益はなく、君子になるぞと誓う以外にない。自助努力の世界だ。保安宮の方は、神頼み。孔子廟の閑散に比べ、保安宮の賑わい。小人にも救いの道が残されているのはうれしい。華人の文化の面白さを感じる。もっとも東京・湯島の聖堂と湯島天神の対照と似ていて、いずこも同じというべきか。あるいは、神社が実は道教だという説が正しいのか。