二二八事件から今年は65周年。政府に対する台湾市民の反抗と、その後の鎮圧で多くの犠牲者が出たが、カク柏村・元行政院長(カク=赤におおざと)が、犠牲者と行方不明者が500人だったと発言し「遺族の心の傷に塩を塗るもの」と市民の一部から強い反発を呼んでいる。政府の学者チームの結論は1万8,000人だが、8万~11万人と主張する人もいる。 二二八事件の犠牲者の名前が刻まれたいしぶみをなでながら、いまだに遺族は涙する。たった65年前のこと。まだ心の傷はいえない。カク行政院長が彼らの心を傷つけたのはまちがいない。 カク氏はまた、高校教科書が「中華民国」を「台湾」と書いることを嘆き、修正を求める投書を各メディアに送ったが、ここでも犠牲者が実際は少ないと主張した。カク氏は江蘇省出身の93歳。心は中国にありだ。望郷の念もあろうし、何より中国人だ。自分が歴史にどう書かれるかが気になるのではないか。 同じような議論が日本でも最近起きた。河村たかし・名古屋市長が南京事件はなかったと述べた。カク氏の意見は極論だが、河村氏の「ない」は証明不能の暴論であり、議論の対象にならない。いうまでもなく、社会の出来事で「ない」を証明するのは不可能だ。 実は河村市長は、「事件性」がないといっている。規模が小さく、原爆に比すべき大事件ではないと言っているのであり、日本人ならそのニュアンスが分かる。でも、それは論理ではない。中国語や英語に翻訳されれば、河村市長の発言は暴言にしか聞こえない。「ない」はありえないので、暴言になる。議論の対象から外されてしまう。 河村市長は、政令市の市長という要職にありながら、よくぞ言ってくれたと思う。しかし、政治家が発言する以上は、もっと時と場合を考えて、戦略的にしてもらいたいものだ。