台湾空軍練習機が墜落、2人殉職 事故13件目に
台湾高雄市の空軍岡山基地(空軍士官学校)で2日午前8時8分ごろ、訓練中のT-34C初等練習機が滑走路脇の芝生に墜落した。機体は大破して激しく炎上し、操縦していた盧季佑中佐と過俊男中佐の2人が殉職した。国防省によると、当時2人はエンジン故障を想定した高リスクな模擬飛行訓練中だった。2人は飛行時間2100時間を超えるベテランだった。空軍は専門チームを立ち上げ、原因調査に乗り出した。台湾紙の自由時報などが伝えた。
台湾空軍が同型機を導入したのは1985年。40年以上にわたり飛行人材育成の主力を担い、無数のパイロットを輩出してきたが、機体の老朽化が指摘されている。同型機による航空安全事故は今回で13件目となり、これまでに計12人のパイロットが殉職した。
1988年には高雄の民家に墜落して地上にも死傷者を出す惨事となったほか、2010年にも2件の重大事故で4人が殉職し、安全性が議論されてきた。同型機は今後さらに7年間の運用が予定されており、今回の事故を受けて訓練環境や機体管理への懸念が改めて強まりそうだ。
服役40年を超える老朽機「T-34C」が抱える構造的課題
今回の事故で大破したT-34Cは、台湾空軍においてパイロット候補生が最初に搭乗する初等練習機として長年運用されてきた。1985年の受け入れ開始から40年が経過しており、航空機の機体寿命や金属疲労、部品供給網の維持という観点から、その老朽化は限界に近いと指摘されている。特に今回行われていた訓練は「エンジン故障(不作動)」を想定したシミュレーション飛行であり、機体に急激な負荷がかかる高リスクな課目であった。航空産業の構造上、運用年数が40年を超える機体は、メーカー側の部品製造終了(生産中止)に伴い、メンテナンスの難易度が飛躍的に上昇する。台湾国防部および空軍はこれまで適切な整備によって運用を維持してきたと主張するが、蓄積された経年劣化を完全に排除することは難しく、それが今回の悲劇的な結果につながった可能性は否定できない。
過去の事故履歴を見ても、T-34Cは1987年の台南官田での墜落を皮切りに、1988年には高雄のア蓮地区で民家を巻き込む大規模な惨事を引き起こしている。さらに1990年には2件の事故で4人が死亡、2010年にも那瑪夏および六亀の山岳地帯で相次いで墜落し4人の尊い命が失われた。こうした一連のトラブルは、単なる操縦ミスや偶発的な環境要因(バードストライクなど)だけでなく、機体そのものの基本性能や維持管理体制に対する構造的な課題を示唆している。今後さらに7年間の運用を予定している中での今回の墜落は、現場のパイロットや教官層に強い不安を植え付ける結果となっている。
台湾の国防政策と次世代練習機開発を巡る産業構造の遅れ
この老朽機問題を長期化させている背景には、台湾の国防政策と防衛産業構造の歪みがある。台湾は近年、国防自主(防衛装備品の国産化)を掲げ、漢翔航空工業(AIDC)を中心に高等練習機「勇鷹(T-5)」の開発・量産に成功し、順次配備を進めてきた。しかし、国力の焦点が高等練習機や次世代戦闘機(ADF)の開発、さらには対中国を念頭に置いた非対称戦力の拡充(ミサイルやドローンなど)に集中した結果、初等練習機の更新計画は後回しにされてきたのが実情である。
初等練習機の新規導入や国内開発には莫大な予算と歳月が必要となるが、限られた防衛予算の配分において優先順位が低く設定されてきた。次世代初等練習機の概念設計や調達計画に関する議論は進められているものの、具体的な機体の選定や国産化への投資は「勇鷹」のプロジェクトほど迅速には進んでいない。今回の事故は、最前線の戦闘機や高等訓練の近代化を進める一方で、パイロット育成の入り口である初等訓練環境の刷新を怠った結果、軍の基盤を支えるベテラン人材を失うという、防衛政策上の痛烈な矛盾を露呈した形となった。台湾軍が今後も安定した航空戦力を維持するためには、老朽機の退役を前倒しし、国際調達を含めた柔軟な産業戦略の転換が急務である。
[出典]
- 香港01:台灣空軍教練機於高雄岡山基地墜毀 2名飛行員當場殉職
- Yahoo奇摩新聞(TVBS新聞):空軍T-34服役40載釀13起事故 共造成12位飛官不幸殉職涂鉅旻
- 聯合新聞網:聯合新聞網:台湾空軍T-34失事関連報道
